25年ほど前に甲状腺がんと診断されました。
普段はガンになったことすらも忘れて過ごしていますが、年に一度の検診は毎回ドキドキします。
そんな私が心がけている病気との付き合い方とは。
経緯
初めてわかった時
25年ほど前、夫の扶養だった頃、扶養家族も5,000円負担で人間ドックを受けることができた。
首を触る医師の手が止まり、『唾飲んで。はい、もう一回。う〜ん、甲状腺にしこりがあるね。』
突然言われた言葉の意味がすぐに理解できず、頭の中が真っ白になった。
え?まだ30歳になったばかりですけど?そんなことある?どうすればいいの?
疑問ばかりが頭の中をぐるぐるまわる。
その頃、どうしてももう一人子供が欲しかったため、医師に相談したところ、
しばらくは様子を見ても良いとの判断。その後、4人目を出産。
一度目の手術
4人目の子が3歳になった頃、しっかり治療をした方がいいと、家族からの強い勧めで治療を始める。
細胞の検査を何度しても良性との結果。
ただ、しこりに針を刺して細胞を採取するが、確実にしこりに刺さっているかはわからないとのことで、やはり手術をして摘出しその場で検査をし、悪性ならリンパ節のしこりも取る。
この頃の記憶があやふやだが、多分そんな感じだった。
結果は悪性。
左の甲状腺は摘出した。
傷跡はほとんどわからないくらいにまでになり、スカーフなどで隠すことは全くしなかったが、術後の体力の落ち方が半端なく、精神的にもかなり辛かった。
再発により二度目の手術
その頃仕事がかなり忙しく、半年に一度の経過観察を怠り始めた。
家族に指摘され、自分でも怖くなり受診。
「久しぶりの受診で、こんなことをお伝えするのは心苦しいのですが、再発しています。」
ダジャレではないが、まさに「ガーン」
今度は右、それも声帯の近く。
外科的手術で声帯に癒着しているところを取ったとき、声帯に傷をつけたり、切ってしまった場合は、声が出なくなりますとも言われ、目の前が真っ白に。
声を失うことだけは嫌ですと伝えた。
それであれば、手術のあと放射線治療を行い、焼き切りましょうと言われ治療方針が決まった。
放射線治療 1回目
県内にある大学病院での放射線治療。
事前に、精神的に辛くなると聞いていたが、最初に辛かったのは、断薬。
ホルモンを補う薬を入院の何日か前から断薬するのだが、ホルモンバランスが崩れるとこんなにも精神的に辛くなるんだと実感。
入院の時は私物の持ち込みをしてもいいが、放射線を浴びてしまうため、全て捨てなければならず、大切なものは持ち込めなかった。とにかく暇で時間がすぎるのが遅く、早く退院したかった。
放射線治療 2回目
1回目の記憶があったため、本当に憂鬱だった。
放射線を当てたところが大きく腫れ上がり、気道を圧迫し呼吸困難となり初めてナースコールを押した。
予定より、放射線が体から抜けるのが遅く、退院が伸びてしまった。
家に帰った時、私の顔を見るなり、「ママがもう帰ってこないんじゃないかと思ってた」と安心したのか大泣きした娘の顔が今でも忘れられない。
手術をしてからの体調
傷跡
2回同じところを切ったが、首のシワにしか見えないほど、傷跡は目立たない。
執刀医のおかげだと思う。
ただ、甲状腺は全て摘出したため、若干首が細く見えるが、しわっぽい首になっている。
声
術後、しばらくの間、高音の声はほとんどでず、今でもそれは改善されていない。
大きな声も出しづらいが、この歳になれば大声は不要なため、特に不都合なことはない。
喉
若干、喉がくっつかないような感じのため、ビールをゴクゴク飲むようなことはできない。
唾液腺
放射線治療で、頬の内側の唾液腺が詰まった状態になり、唾液の分泌が少なくなってしまったため、水分を摂りながらでないと、白米やクッキーは食べることができない。
メンタル
流行病が日本を襲った頃、自律神経失調症にもなった。
高血圧の薬も飲んでいる。
一時期、子供との関係に悩み、心療内科にもお世話になった。
その時、精神科医に「甲状腺の病気も含め、全てストレスが大きく関わっているのかもしれませんね。」と言われ、妙に納得した。
心がけていること
ストレスを溜め込まない
このことが一番大切だと思ってはいるもののできていないのが現状です。
知らず知らずのうちに無理をしている。
これからは自分のことを一番に考えてもいいのかなと思っています。
感謝
月並みな言い方かもしれないけれど、支えてくれた家族に感謝。
それから、休職しても復帰させていただける職場と、仲間に感謝。
一夜賢者の偈
仏教の教えに一夜賢者の偈というものがあります。
教えを書き写したものを手帳にはさみ、いつでも読めるようにしています。
『過ぎ去れることを追うことなかれ。
いまだ来たらざることを念(おも)うことなかれ。
過去、そはすでに捨てられたり。
未来、そはいまだ到らざるなり。
されば、ただ現在するところのものを、
そのところにおいてよく観察すべし。
揺らぐことなく、動ずることなく、
見きわめ、ただ実践すべし。
ただ今日まさにすべきことを熱心になせ。
たれか明日死のあることを知らんや。
まことに、かの死の大軍と、
遭わずというは、あることなし。
よくかくのごとく見きわめたるものは、
心をこめ、昼夜おこたることなく実践せよ。
かくのごときを、『一夜賢者』といい、
また、心しずまれる者とはいうなり』
つまりは、
まだきてもいないことを心配しない
過去に起きたことをいつまでも後悔しない
目の前に起きたことを冷静になって判断する
今できることに最善を尽くす。
ということだと思っています。
思うこと
あの時、まだ子供が小さく、不安な気持ちにさせたことが一番悲しかった。
その時娘がくれた、手作りの「おまもり」が今でも宝物。
表には『ママがんばって』そして裏には『安全第一』(笑)
多分、『健康第一』って書きたかったのだろう。
もちろん、執刀医師に見せましたよ。安全第一でお願いしますってね。
自分の体だけれど、自分一人の体ではないから大切にしようと思う。
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